兵庫県立美術館で開催(2017年5月20日~7月9日)されている「ベルギー奇想の系譜展」を観覧してきたので、今回から印象に残ったポイントを綴りたいと思います。
最初にこの展覧会を知ったのは、美術館に置いていた案内チラシです。
細かく描かれた奇妙な絵本の1ページのような絵、なんだこれは?でも、面白そう…と思ったのが観たいと思ったきっかけでした。
動機がそんな感じだったので、何の前知識もなく、展覧会の会場へ向かいました。
トゥヌグダルスの幻視(ヒエロニムス・ボス工房)
今回の展覧会のメインビジュアルにもなっている絵です。
ヒエロニムス・ボスは1450年頃に現在のベルギーやオランダ、ルクセンブルクにあたるネーデルランドで生まれました。
ボスが生まれた時代は、キリスト教が強大な影響力を持った時代で、描かれる絵画もキリスト教をテーマにしたものが多かったそうです。
その中でもボスの描く宗教画はかなり異質な存在で、奇怪というか奇妙というか、清らかなイメージとは程遠い不思議な絵画です。
当時、画家は一般的な職業として成り立ち、それぞれに工房を持って数人の弟子を雇って、依頼主の求めに応じて、作品を作っていました。
画家も職人に近い形だったんでしょうね。
さて、この「トゥヌグダルスの幻視」という作品ですが、まるで地獄絵図のようで、描かれている細部に見入ってしまいます。
様々な悩みを抱えている男の頭の中なのでしょうか、こんな悩みを抱えていたら苦しくて仕方がありません。
この作品はアイルランドの修道士、マルクスが12世紀半ばに記した、『トゥヌグダルスの幻視』の逸話から発想されています。
放蕩にふけっていたトゥヌグダルスは、ある時3日ほど仮死状態に陥ってしまいます。
その時、彼の魂は天国と地獄をさまようことになり、この作品は地獄の様子が描かれています。
地獄の様子と言ってもそんなにドロドロとした印象が無いのは、どこかユーモラスな怪物や悪魔が描かれているからでしょうか。
聖クリストフォロス(ヤン・マンデイン)
人間も内面はケダモノと変わらず、聖人であっても腹の中は闇だったりするっていう意味だろうか。
一枚の絵の中に、人間の持つ闇が凝縮されているような気がしました。
パノラマ風景の中の聖アントニウスの誘惑(ヤン・マンデイン)
この絵も面白い。
聖アントニウスとは、砂漠での修行で知られるキリスト教の聖人です。
「聖アントニウスの火」と呼ばれた奇病の治癒の奇跡をもたらすとともに、祟りで病を引き起こすと考えられていました。
画面中央に描かれているアントニウスの周りには、たくさんの怪物達が並んでいます。
この怪物たちは、人間の本性を表しているのでしょうか。
綺麗に着飾ったり化粧をしても、皮を剥げばみんな醜い獣であると伝えているかのようです。
聖アントニウスの誘惑(ピーデル・ハイス)
こういう絵が貴族社会で好まれたということですが、彼らの欲深な心情を見せられているようで、それがわかって好まれたのだろうか?
だとしたら、とっても自虐的なユーモアじゃないか。
それとも自分は聖者であり、その他の人間はみな絵のような怪物であると、蔑んでいたのでしょうか?
金持ちの倒錯した好みは、本当に理解できない。
聖アントニウスの誘惑(フランドルの逸名の画家)
キリスト像の前にひざまずく老人。
どうか多々ある誘惑から、私を助けてください・・・と願っているように見えます。
しかし、その老人の目は、本心からそう言っているのか?とても疑わしい目つきです。
人の欲は、無限に続いています。
生きている限り、欲望から逃れることはできないのだよ・・・周りの怪物たちがそう囁いているように思いました。
奇怪で奇抜すぎるから絵の好みが極端に別れている
最初からものすごくインパクトのある絵が次々と現れ、ベルギー奇想の系譜という展覧会は、想像以上に楽しめました。
同時に、細かく描かれているので、遠目に見るというよりも、いつもより絵に近づいて見る感じで、1点見るのに結構時間がかかります。
でも、まわりの観客をみると結構さっさと歩いて行くんですよね。
うーん、ちょっと思ったのは、気持ち悪いと感じる人が割りと居るんじゃなかろうか?
だから足早に見て回る人が居るのでしょうね。
私は、こういう細かい絵は、それだけ絵の中に物語が含まれているから好きなのだけど。