【若狭一宮】若狭彦神社・若狭姫神社(福井県小浜市)神々ともののけが棲まう深緑の狭間の霊域へ

【若狭一宮】若狭彦神社・若狭姫神社(福井県小浜市)神々ともののけが棲まう深緑の狭間の霊域へ
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巨樹が立ち並ぶ広大な森の境内に鎮座する神社

若狭に来ると必ず立ち寄るのが、この神社。広く森深い境内はいつも静寂に満ちて、誰にも邪魔されることなく神様と対話することができます。
私は奈良東大寺二月堂で冬の終わりに行われる「お水取り」の神事を観たときに感動し、その源が、若狭一宮の鵜の瀬の霊域で行われる「お水送り」の神事にあるということから興味を持ちました。

若狭一宮の由来は、若狭国遠敷郡西郷ノ内に流れる霊河の源の白石の里に、先ず彦神、次いで姫神が唐人のような姿で降臨されたことに発します。
唐人のような姿という伝承から、大陸から渡来した高貴な人々であったのだろうかと想像が膨らみます。

人々はその神々のために、降臨された地に社殿を建てました。それがこの神社のはじまりです。
そして715年(霊亀元年)9月10日に現在の遠敷郡下根来村白石にある「若狭彦神社(上社)」が創建。この地域の守護神として深く信仰を集めたそうです。
さらに721年2月10日には、上社から分祀された「若狭姫神社」が創建されました。

古来、若狭彦神社(上社、上宮)は若狭国一宮であり、「若狭姫神社(下社、下宮)」は二宮でしたが、現在は、2社で若狭国一宮・若狭彦神社と称しています。

楼門に安置してある随身(お供、従者)は、御祭神の降臨の時にお供をされた神々であるといいます。

若狭彦大明神が、宇多天皇の御子敦実親王に告げた「四神の御歌」
みな人の 直き心ぞ そのままに 神の神にて 神の神なり 

若狭彦神社(上社)

住宅地から境内に踏み入ると、環境は一変します。まっすぐに伸びた杉の巨樹が参道沿いに立ち並び、見上げながら歩くとその迫力に圧倒されます。

「随神門」は、江戸後期の造営。入母屋造平入、桧皮葺、素木造、桁行三間、梁間二間の清雅な八脚門で、正側面と、中柱で区画する前面一間を、床高の随神座とし、広い中央の通路を挾んで、随神像各4軀が、左右に正対する珍しい形式です。
※随神門は寺院の仁王門にあたる邪悪なものが神様のいる聖域に入らないようにとの意味で建てられた門のこと。

神門(中門)は、天保元年(1830)の造営。切妻造平入、桧皮葺、素木造の至って閑雅な四脚門です。
神門の前に立つと自然と背筋が伸びます。

ここまで来て広大な境内にも関わらず「拝殿」が無いのが、少し違和感を覚えます。それとも本殿の前の神聖な広場が拝殿の意味を成しているのだろうか。

ほぼ東面する本殿は、文化10年(1813)造営の三間社流造(梁間三間 内前室一間)、桧皮葺、素木造で、組物はすべて大斗船肘木、妻飾は二重虹梁、豕扠首式です。

ただ本殿の老朽化はかなり進んでいるのか、所々材木が朽ちています。本来は本殿の前まで行くことができなかったのですが、訪れたときは扉が解放されおり、すぐそばまで入ることができました。
本殿の周りは卵のような丸く白い石が敷き詰められていました。これは玉石と呼ばれ、玉石(たまいし)=魂(たましい)「みたま(御霊)」の「タマ(霊)」の意味があるといいます。

一通り参拝を終えたら、若狭彦神社の周りに広がる社叢の中を少し歩いてみることをお勧めしたい。
少し歩けば、まっすぐに立つ杉木立に混じって、異形の巨樹があちこちに見ることができます。その姿を見るだけで、多くの神聖な御霊があちこちに棲んでいることを感じることができるでしょう。

若狭姫神社(下社)

ここは若狭彦神社よりもさらに緑が濃く、古代の若狭の自然環境にいるような気持ちが味わえる場所。
境内に入ってすぐに目につくのが、垣内にある千年杉の巨樹の姿です。とてつもなく大きくて迫力があります。
神様はこの杉よりももっともっと巨大だと思いますが、そのパワーを十分に感じることができます。

随神門は、寛保3年(1743)の造営。
入母屋造平入、桧皮葺、素木造、桁行三間、梁間二間の清雅な八脚門で中央の通路を挾む前面一間を、床高の随神座とし、左右各4軀の随神像が、左右に正対する珍しい形式です。
この随神は、祭神に随従の吉祥八人と、神人絵系図は伝えています。

神門(中門)は、享和3年(1803)の造営。切妻造平入、桧皮葺、素木造の至って閑雅な四脚門です。

東面する本殿は、享和2年(1802)造営の三間社流造(梁間二間 前室一間)、向拝一間、桧皮葺、素木造で組物はすべて三斗組、妻飾は豕扠首式です。

若狭姫神社の境内には子種石とよばれる陰陽石、乳神様とよばれる大銀杏などもあり安産育児に霊験があるという。

主な祭事

【お水送り】若狭神宮寺の閼伽井戸

若狭彦神社の神事は、旧暦2月に鵜の瀬で奈良東大寺の二月堂に水を送る「お水送り神事」がよく知られています。当日は深い積雪にも関わらず全国から参拝者が訪れます。

伝承では、ある年、奈良市の東大寺二月堂の修二会で神名帳を読んで全国の神を招いたが、遠敷明神は漁で忙しかったため遅刻してしまった。そのお詫びとして、遠敷明神は二月堂の本尊である十一面観音にお供えの閼伽水を送ると約束したといいます。

神社から少し離れた場所にある「鵜ノ瀬」と呼ばれる淵は、二月堂の若狭井に通じているとされています。
ただお水送り神事は、今では若狭彦神社の神宮寺であった「若狭神宮寺」が主体となって行われています。

【遠敷祭り】

若狭姫神社の遠敷明神および若狭彦神社の祭りで、五穀豊穣を願い、棒振りや大太鼓が地区内を練り歩き行われます。
遠敷明神が721年(養老5年)2月10日に遠敷の地に鎮座したので、3月10日に祭りを行い、若狭彦神が715年(霊亀元年) 9月10日に鎮座したので10月10日に行われています。

●若狭彦神社の概要
所在地/福井県小浜市遠敷65-41
主祭神/上社 若狭彦大神(彦火火出見尊)、下社 若狭姫大神(豊玉姫命)
旧社格 國幣中社
神紋/宝珠に波(水玉)
※上社祭神の彦火火出見尊(山幸彦)が龍宮で手に入れた潮を自在に操る玉

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