仏像は発祥から現代に至るまで、それぞれの姿がその時代に合わせて変化しています。
多くの日本人は、地蔵菩薩や阿弥陀如来、不動明王、観音菩薩と聞けば、なんとなくその姿を知っているはず。
仏像の姿は仏教が日本に伝わってからは、独自に変化していったものです。最初は大陸から輸入された仏像を手本にしながら、徐々に日本人の仏師たちが技術を鍛錬し、己の個性で持って仏像の姿に磨きをかけていきました。
仏像造形の定義に縛られて?
私は神仏を描く切り絵師です。特に仏の姿を描くとき、最初はすごくぎこちないものでした。過去に仏師であった経歴があるのですが、それが「仏像はこうあるべき」という観念が染み付いてしまってなかなか脱却ができなかったのです。自信を持って切り上げることができても、完成品をながめるにつれどこか違和感を感じるようになりました。
自分自身で紙に描いて、ナイフを入れて切ったものなのに、自分のものでないような違和感。歴代の名作の模写にすぎないのではないか?これで秀多の作品と呼べるのか?そんな疑問がつねにあったのです。
「古代仏教の名宝展」で思考の鎧が解けた
悩んでいた頃に京都で「古代仏教の名宝展」という仏像・仏画を中心とした展覧会を見に行きました。
会場では古代のガンダーラ仏から、鎌倉時代の仏像まで並べた展示が行われていました。最初はガンダーラ仏の小さな石像、中国の金属でできた小さな仏、そして日本の鎌倉仏、大半は造形的にも際立ったものはないものの一体何を語りたいのか?よくわからないまま展示会場順路に沿って歩いてみた。
ここには運慶や快慶のようなカリスマ仏師の作品は無く、ほとんどが無名の仏師たちが残した祈りの造形物のみが展示されていました。
正直、なにか想像と違って期待はずれ感もありました。しかし一通りぐるりと見終わった後にふと気づいたことがありました。
ガンダーラ仏はギリシャ彫刻の影響を受けて日本の仏像と違ってエキゾチックで、西洋的な肉体美を感じます。中国に伝来していくと、造形はシンプルにシャープになっていきます。仏像の役目は祈りの依代であることです。そして人間界とは次元の違う宇宙的な存在であることから、リアルに人間に似せることは違うと考えたのかもしれません。
しかし、日本に伝来してから仏像は時代を経るごとに、簡略されたシンプルな姿から人間に近い写実的な姿へと変貌していきます。ひょっとするとこれは仏像に携わる職人たちが求めた姿ではなく、仏教を信仰する人々の思いが、神仏への依存度の高まりとともに変化していったからではないだろうか?と考えました。
たぶん最初は見えない存在への畏怖と素朴な信仰心から、仏の姿を求めたんだと思います。ただ手にその存在が感じることができればそれでよかったんだと。
仏像に対して求めるものは、身近に存在を感じることができれば良いと、それだけの思いだったのではないだろうか。
しかし時代とともに人が物と権力に翻弄されるようになり、個人が物欲や支配欲に溺れてしまうと、周りの脅威から守られたい、もっと力が欲しいと思うようになります。
そうなると、仏を実在する守護神として、そのリアルな姿を強く求めるようになったのではなかろうか。
人間の欲と煩悩の高まりが、仏像の造形を写実的なものに変えていったと考えられます。
だから時代背景やそこに伴う人の暮らしぶりを考えても、単に職人の技術力が仏像変えていったのでは無いだろうと思うのです。
時代の変遷とともに変わる仏像の姿を見て、私も考えを変えるきっかけとなりました。もともと人間の考えたこと、仏の役割と個性を知った上で自由に造形をすれば良いのです。