2019年明けから制作し、第一回切り博にも出展した切り絵「野人の夢」が完成して1年が経ちました。
この作品は私自身の今を映す自画像として制作したものです。
そのときに興味を持っていたもの、見据えていた将来、忘れたい過去、恐れていること、悲しいこと、悔しいこと、怒っていること、生きる目的、制作方針など私自身を構成するありとあらゆる要素を詰め込んだ大作となりました。
自画像は私の命乞いだった
一年たった今の状況で作品を見返してみました。
よく頑張って作ったなぁという気持ちと、終わりのない不安と、尽きることのない疑問と、人間社会への怖れに呑み込まれながら、もがいていた苦しさが蘇ってきました。
「どうか助けてください…」と絵の中の私が命乞いをしている・・・・そういうふうに今見ると思えます。
苦しいね、寂しいね、不安だね、しんどいよね、と当時の私に声をかけたくなるし、じっくりと話を聞いてあげたくなります。
制作していた当時は、そんな気持ちは微塵もなく、むしろ前へ前へと希望に満たされていたと思いこんでいました。
絵に描いていた本当の自分の気持に、制作していた自分が全く読み取れていなかったとは。
そんなことがあるのだなぁ。絵を描くってなんて不思議な行為なんだろうと思いました。
自己啓発活動の亡霊を切り捨てる
自己啓発系のコンサルタントや書籍に感化された人の投稿には、必ず「1年後には年収3000万を実現している」と希望する収入金額をバーンと書かれています。
こういう自己啓発系のセミナーや本の中には「将来に向かって夢に具体的な目標設定をしなさい」というのがあります。
私も3年後はこうなりたい、5年後は~10年後は~という目標を紙に書き出して、部屋の壁に張り出していたものです。
当然その要素も無いのに実現するわけもなく、絵に書いた餅で終わり、実際に成果を出している人の投稿を見て妬むようになるわけです。
その繰り返し。
そこであるとき、ふと気がつくのです。
あれ?金額設定って必要?夢に数字は必要なのか?
収入金額は活動に対する成果であり報酬だから、まずどんな活動をするのかが大切でしょう。
金額は活動に対する評価なので、自分が決めることではありません。
いちばん重要な目標設定って、「誰にどのような活動を提供して幸せにしてあげるのか?」「自分自身が誰のために、どんな活動するのか」でしょう。
自己啓発では数値化することで、現実化の近道になると主張していますが、私は全く逆だと思います。
夢を数値化することで、数字に縛られて動けなくなり、弱肉強食の社会の中で絶望して死ぬ。
これが巷の自己啓発活動の現実ではないですか。
自己啓発も商売ですから、絶望してくれる人が多いほど儲かります。
最近になってその縛りを私は解きました。自己啓発活動の亡霊に別れを告げました。
長く、本当に長く縛られていたなぁ。
今度自画像を描くのは、いつになるだろうか?たぶん2030年頃かな。その時まで頑張って制作を続けていたいです。