昨年と同様にまさかと思ったが、2021年の第三回切り絵博覧会はコロナの緊急事態宣言下で開催された。
作品を搬入後に、一度会場まで行った。
しかし今回は参加した作家の人数が少なく、作品も初回の頃と比べると半分以下。
いつも参加していた作家の作品が無いのは、やはり寂しい。
来場者もこの状況下なので、ほとんど来ない。
初回の盛況だった頃の様子が懐かしい。
切り博に展示された作品たちそれぞれと対峙して、切り絵作家の想いを読み取ること
私は会場に行く前に、今回は展示されている切り絵と対峙しながら感想をTwitterに投稿していこうと決めていた。
自分の学習のためと、少しでも切り博を盛り上げられたらいいなと思ったからだ。
気になった切り絵の前に立ち、その作品から伝わってくるものや、作家の思いを想像してみる。そして目を近づけて技法も観る。
切り絵はその繊細さから、つい技法に目が行きがちだが、通常の絵画を観る感覚で観ると面白い。
あまりに装飾的なデザインの作品からは、綺麗という以上の感動はなかなか見いだせないので語る言葉がすくなくなってしま少なくなってしまう。
私と同様に絵画に近い作品からは、絵が語ってくる物語が多様で深く、作家の人間性も見えてくるので楽しくなってくる。
アートが無くても誰も困らない…しかしアートが成せる役割と効果がある
このように会場で楽しんだ私は、今回の展示に参加しなかった作家に寂しさを覚えた。
同時に私自身が参加すべきだったのかどうか?また、この状況下で切り博を開催しても良かったのかどうか?楽しんでいる心の裏側で常に自問自答していた。
アートが無くても誰も困らないし、必要とされているわけでもない。病を治す薬にも、飢えをしのぐ食料にもならない。
ではなぜ私は切り絵を作るのか?
制作すること、展示することに疑問を持った私が常に思い出すことがある。
それは仏師円空や木喰の存在である。
彼らは困窮した人の拠り所として無数の神仏を制作した。そこにあるのは人を救いたいという純粋な祈りの気持ちのみ。
私もそうでありたいし、それが私が考えるアートの存在意義。
作品を手にすることがきっかけになって、失いかけた希望や喜びを再び蘇らせることができたり、常に寄り添う支えのような存在でいたい。
お互いに、ありがとうと言える関係になりたい。