ゆるキャンとソロキャンプとYou Tube
私が野営を楽しむようになったのは、20代でかれこれ30年以上前からです。始めた理由は単純に宿に泊まるお金を節約して、広く深く旅を楽しみたいと思ったからです。
それ以来、旅館やホテルのような宿で退屈な時間とお金を消費するより、飽きないぐらいの感動と発見を楽しめる野営が私の旅スタイルになりました。
2019年頃から社会的なキャンプブームとなり、ちょうど放映が始まった「ゆるキャン」を見て初々しい登場人物たちから私が初心者だった頃を思い出して懐かしくなりました。
「ソロキャンプ」ということばも流行っているようで、孤独で詫びしい野営をカタカナで表現すると格好良くなるもんだとも思いました。ものは言いようだな~。
「キャンプYouTuber」の動画も良くみますが、日本人の作品はビジネス寄りの傾向が強い(フォロワーが増えはじめると皆ビジネス系に転向する)ので、自然体で野性的な海外の映像作品が好きです。
野営生活で得られる心の活力
野営に行く時の移動手段は、バイクか自転車、徒歩と公共の交通機関です。車と違って厳選した最小限の荷物しか持てないから、現地で揃えられるものと併せて「何を持っていくか?」「どのように収納するか?」「どうやって荷物を固定するか?」など、経験と情報収集をして創意工夫が試される点が面白い。
孤独で怖くないの?事故があったらどうするの?とよく聞かれます。正直いって少し不安もあるけれど、心のワクワクの方が勝ります。不安は無いよりある方が、警戒心と注意力が増すので良いことです。
また、スマホの電波も圏外になる場所が多いけど、それが心を解放させてくれているような気がしています。
さらに自然の中で独り孤独に過ごせるという幸運に恵まれたなら、ひたすら深く心をくつろがせることができます。
野営の環境が創作意欲を刺激する
様々な機器や音や過剰な広告にあふれた人間社会で生活していると、本来人間が持っている動物的な五感にゴミが詰まって感覚がかなり鈍くなってしまいます。そのことさえ気付かずに生活しているのが現状ではないでしょうか?
自然環境の中で野営を続けていると、野性的な感覚が少しづつ蘇ってきます。絵師であれば、それがそのまま作品の中に再現されていくのを実感出来るはず。発想も素直に出てくるようになり、行き詰まった気持ちが少しづつほぐされていきます。
こだわりは大切だけど、こだわりに固執するのは悪循環を産むだけ。
自然の中では全ての感覚を開いて、疑うことなく全てを受け入れてみよう。
なぜ野営をしたくなるのだろう?無意味な疑問。 屋久島まで行かなくても、美しく深い森が近くにあります。
野営生活で本物に触れる
パソコンやスマートフォン、写真集などを通して自然の姿を知ることはできると思いますが、実際に自然を絵として描いた時にどれだけ上手く描けたとしても、その環境に身をおいたことがない画家が描くと、どこか嘘くさく感じてしまいます。
逆に本当に自然の中を歩き、音を聴き、木々や落ち葉に触れてから描いた絵は稚拙であってもどこか心を動かされるような感じがします。
私が切り絵師として野営生活が欠かせない理由は、このように本物に触れる大切さを知っているからです。
絵筆や鉛筆で描くのとは違って、切り絵はディフォルメしたデッサンを要求されます。
切り絵には、どこか民芸調の絵やマンガや装飾的な絵のタッチが多いのもそれが理由でしょう。
紙をナイフで繊細に切る技法に注目されやすい絵だからこそ、技法を超えた感動を与えられるものを制作しなければならないと思うのです。
野営しているとその環境から以外にも、野外で過ごす過程からも多くのことを学び、吸収することができます。その場で得た様々な事や現象が私の切り絵を技術いじよに豊かな作品にしてくれていると思っています。
巨樹を前にすると森の神を感じます。 何百年何千年と続く命の営みを見続けてきたのかな。 巨体を支える筋肉質な根が大地をがっしりと掴んでいます。