森神社(滋賀県高島市)1200年以上、集落を守護する神木と生きる

森神社(滋賀県高島市)1200年以上、集落を守護する神木と生きる

私は巨樹老木があると聞くと、すぐに見に行きたくなる方です。過去に後回しにしていたら台風で倒れて伐採されてしまって後悔したことがあるからです。
滋賀県高島市内にタブノキの巨樹がある森神社のことを知り、訪ねてみることにしました。

目次

樹齢1200年のタブノキの巨樹

タブノキの巨樹
饗庭神社
本社殿の隣りにある饗庭神社
森神社の拝殿
森神社の拝殿、その奥に本殿が見える
森神社の拝殿の前にも大きな巨樹が2本あります
森神社の本殿前。阿吽の狛犬が迎えます
森神社のタブノキ
本殿の裏にまわるとタブノキの巨樹があります

町に親しまれている神社という感じの小さな神社ですが、とても立派なタブノキの巨樹が社殿の裏にそびえたっています。
御神木としてこの地域の人々に崇められ、樹齢は1200年(奈良時代末期より)と伝承されています。

タブノキはクスノキの仲間で、非常に長寿な樹木で2000年以上生きるものもあるといいます。
これは幹回りは約6mあり、分かれた枝もとても太く立派なものです。
雷の影響か?太い枝が途中で折れていて、その折れた枝が地面で朽ちていました。

朽ちた枝

威風堂々と立つ主幹と、朽ちて土に還る太い枝を眺めていると、生命の一生を教えられているように思う。

このタブノキは、暖地性植物で温帯性殖物が多く見られるこのあたりでは大変珍しく貴重な存在と考えられています。
また明治28年(1895)の「古社取調書」の中に「森神社境内には常緑樹が生い茂り老樹はどれもが周囲二丈(六メートル)に及ぶ」とあり、森神社は古くからの神社であったと想像できます。

そして大地を鷲づかみしているような太くうねる根と、太い幹には緑色の苔を厚くまとって、その様子が森の神を連想させます。

境内は子供が遊ぶにはちょうど良い広場で、森神社の神様は多くの子供たちの成長を見守ってきたんだなぁと、ちょっと優しい気持ちになりました。

●森神社
所在地/滋賀県高島市新旭町旭1156
御祭神/八衢比古神(やちまたひこのかみ) 八衢比売神(やちまたひめのかみ)
※イザナギが禊を行うために衣を脱いだ時、袴から生まれた神。八衢とは辻の意味で、この二神は道路の四辻や分岐点等を護られ、悪霊を退け災厄を防ぐと云われており、道路交通安全の守護、悪魔除けの神として崇められています。
配祀神/久那戸神(くなどのかみ)
※道の分岐点で、旅人の道中の安全をはかる神。
御由緒/
至徳2年大和国より勧進して産土神として奉祀。以来道祖神と称していましたが、明治元年に現在の社号に改められた。(社蔵記録)明治9年村社、大正14年神饌幣帛料供進社に指定)
明和元年よりのことを書いた「森村永代年表記」によると、寛政4年本殿再建、文化5年正面石垣及び石橋・文化7年東側石垣造営、慶応2年拝殿再建、明治10年鳥居建立とあり、屋根葺替は明治4年より10年毎に行われています。
また境内社の饗庭神社は往古は佛堂として信仰されていたが、明治11年無格社に勧請されました。
この神社は饗庭氏の祖先を祀ったもので、饗庭大明神と称しました。

※饗庭氏(あえばし/あいばし)は、日本の氏族。源頼光を祖とする摂津源氏の流れを汲む土岐氏(美濃源氏)の支流。
※饗庭とは、神を招きもてなす聖地に由来しています。「アエバ」→神に捧げ物を奉る場所を示し、饗庭の「ば」→古代は祭を行う広場を意味し、中世以降は宮を建てて神の鎮座地を意味するようになった。

本殿・境内建物/
〔本殿〕三間社流造 間口二間 奥行二間三尺
〔拝殿〕入母屋造 間口二間 奥行二間三尺
境内社(摂社・末社)/饗庭神社 五十鈴神社

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