絵画って、こんなに自由でいいのだろうか?
現代であればそんなことは気にしないのですが、キリスト教の力というか宗教をコンセプトにする絵画が主流の世界で描かれていたことや、それが貴族社会で人気だったことに驚くばかりです。
ヒエロニムス・ボスやピーテル・ブリューゲルのように、奇想の先駆者とも言える画家が自由に表現したい世界を描いていることが、なんだか良いなぁと思います。
宗教画だから…という制約をさらに一歩踏み越えていった先に見えたものを描く、その姿勢がとても面白いです。
幼子イエスを運ぶ聖クリストフォロス(フランドルの逸名の画家)
釈迦の誕生仏のように右手を高く上げる幼いキリストですが、両足にはなぜか魚が食いついています。
いやはや困った世界に生まれ出てしまった・・・と後悔しているような表情が面白いです。
なんだか「もうこの辺でいいでしょ。進むのはやめようよ」って聖クリストフォロスに告げているようです。
見れば見るほど、ヘンテコリンな絵です。
大きな魚の口から、聖者が覗いていたり、館を背負った魚がそのまま船になっていたり、本当に困った世の中だから、キリストになんとかして欲しいと思っているかのようです。
七つの大罪シリーズ
キリスト教の七つの大罪とは、人間を罪に導く可能性のある行為、欲望や感情を指します。
七つの大罪は「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憤怒」、「怠惰」、「傲慢」、「嫉妬」であり、ビーテル・フリューゲルはそれぞれをテーマにした絵を残しています。
どの作品もフリューゲルの奇抜な想像力が存分に発揮されていて、怖い絵のようでとても面白い。
嫉妬
人の幸せや人が持っている物を妬む感情を嫉妬と言いますが、この作品は<靴>を嫉妬の象徴としてたくさん描かれています。
なぜ嫉妬の象徴が<靴>になっているのでしょうか?
この絵が描かれた時代は、身分の上下を表す象徴が<靴>だったそうです。
「ブーツを履く人、短靴の人知らず」という諺があり、ブーツを履けるような身分の高い人は、短い靴しか履けない人々のことを知ろうとしないという意味です。
絵の細部には、嫉妬する人々に、異形の悪魔たちが何やら囁いて、さらに嫉妬心を掻き立てているようです。
貪欲
この絵にはお金に翻弄される貪欲な人々の姿が、あちこちに描かれています。
お金に勝る価値あるものが見えなくなり、ただ目の前にある小さなコインに目が盲目的になってしまう。
そんな人間の弱さに付け込もうと、異形の悪魔たちが言葉巧みに人を操ろうとしています。
大食
ちょっとメタボ気味なので、大食と聞くとドキッとしちゃうのですが、この絵には大食いというよりも、酒に酔いつぶれている人々が多く描かれています。
この絵が描かれた時代は、現代のように飽食の時代ではなく、食糧事情はとても悪かったと思います。
だから、食事よりもお酒の方が民衆にとって馴染みが深かったのだと思います。
ただし、お酒は飲みすぎると自分を見失って、自分の生活環境を壊すこともあるだけに、大きな社会問題だったのかもしれません。
この絵では、人間だけでなく、怪物たちもお酒に酔いつぶれているのが面白い。
激怒
何に対しての激怒なのだろうか?
この絵は確かに身体を刻み込まれたり、火あぶりにされたり、毒をもられそうだったりと、狂気じみた演出に満ちていて怖い。
怒りが頂点に達する、つまり激怒すると、その気持が落ち着くまでは、どんな非道な方法であっても、相手にダメージを与えずにはいられない。
そこに集団心理が働くと、地獄のような場面が現実になる・・・そんな暗示がこの絵にあるような気がします。
怠惰
働かざる者食うべからず・・・絵に向かって思わずそう言いたくなります。
この絵に登場する人物や動物たちは、生きることも辛くて放棄しているようです。
その心の隙間を狙って、怪物たちが何やら影で狙っています。
隙を観て、人間の魂を抜き取ろうとしているのでしょうか?
傲慢
自己中心的な態度も、度が過ぎると傲慢になります。
絵の中の人物たちも、他人の気持ちは無視して、あちらこちらで勝手な行いをしています。
画面の下部の中心に鏡持った女性がいて、その横には大きな孔雀の姿があります。
孔雀は傲慢の象徴ということだそうです。
邪淫
スタンリー・キューブリックのカリギュラという映画を彷彿させるような、淫らな行為を誰にはばかること無く行っている人や怪物たちがいます。
ここまでいくと人間と怪物の違いってなんだろう?姿形は違っても、中身はどれも怪物じゃないのか?人間も怪物の一種ではないかと思ってしまいます。
この絵は、実際に自分が描くとなると、気持ち的に気分が悪くて辛くなりそうです。
七つの徳目
とても奇抜で奇怪な表現に満ちていた「七つの大罪シリーズ」とは、真逆のコンセプトで描かれたのが「七つの徳目シリーズ」です。七つの美徳とも呼ばれています。
緻密な絵の表現は変わりませんが、内容はいたって真面目で、七つの大罪のような怪物や悪魔は登場しません。
だから、ちょっと面白みに欠けてしまいます。
美術館でも、「七つの大罪」はじっくりと観ている人が多いのに対して、「七つの徳目」は足早に観る人が多かった。
やはり人間は、他人の不幸を目の当たりにするほうが、関心が高いのだなとあらためて思いました。