SNSは画家にとって欠かせない宣伝ツールです。
私もFacebookやTwitterやInstagramのアカウントを持ってゆるりと運営をしています。
沢山の人に自分が作っている作品や創作の考え、個性を知ってほしいと思って投稿しています。
つながっているフォロワーには実際にリアルな友人もいれば、まったく面識もない人もいて、誰にどんなふうに相手に私の思いが届いているのかわかりません。
コメントを頂ける人に対しては相手の気持ちもわかってくるのですが、9割以上はわからないままです。
SNSで疲れないために
こうして不特定多数の見えない人々に対して投稿を続けていると、単に自己顕示と承認欲求のためだけに自分が活動しているようなストレスに悩まされることになります。
一体、何のためにこんな投稿をしているのだろう?
誰のために投稿しているのだろう?
投稿し続けることに意味があるのだろうか?
など、もやもやした気持ちが私を包みます。
特に私は何事につけ「意味」を性格的に重視する傾向にあり、何か意味づけをしないと行動できないところがあります。
この「意味」を考えては探りを繰り返していくうちに、どんどん深みにはまって精神的にとても疲れてしまいます。
そしてその深みから引き上げてくれるのは、やっぱり自分の行き着いた「意味」だったりします。
誰かのために
誰に対して投稿するのかという相手の人物像を明確にすればするほど、投稿する内容も変わってきて、同時に発信する動機が「意味あるもの」に変わります。
相手にとってもそれまで支離滅裂だった投稿が、ストレートに伝わりやすくなります。
ただし、同時に伝わらない相手も出現します。
でも….全員に伝わる必要って無いと思いませんか?
例えばたくさんの愛人がいる人より、一人の人を真剣に愛する人のほうが素敵だと思うのです。
変な例え話かもしれないけど、そういうことです。
たった一人の誰かのために、自分が本当に伝えたい内容を、自分の言葉で、自分が伝えたい相手に、伝わりやすく発信ができるようになります。
フォロワーが減るかもと不安になるかもしれないけれど、そう思い込むことが大切なことなんです。
たぶんSNSを利用しているこの世界の多くの人は、不特定多数の人に対して自分の投稿を発信し、その投稿に対して「いいね」をもらいたいと思っているのでしょう。
その運営方法ではやがて、自分自身が破綻してしまう。精神的にボロボロになるだろう。
どんな人でもそんな苦しい事は続けられない。
そんなことで、今の便利なメディアを嫌いになってしまってはもったいない。
よく何を発信したらいいかわからないという声を聞く。それこそ不特定多数の人に対して何かを発信しようと考えているからです。
100人に1人は、「あれ?この投稿は私のことを言っているのかな?、私に対して何かを伝えようとしている人がいるんだ」と思ってくれたら、それこそが本当の意味で言う真のフォロワーです。
誰に向けて発信しているのか?
誰に感じて欲しいのか?
誰に受け取って欲しいのか?
誰の声が聞きたいのか?
私はその「誰か」のために絵を描き、切り絵を制作し、その状況や思いSNSを使って発信します。それが大切なんだと思います。
救われない自分に悩む誰かのためのメッセージとして作品を作る
私は八百万の神仏切り絵師を名乗りながらも、「私は神仏に救われるに値しない人間なのだ」と深く悩むことが時々あります。
だからこそ「あなたは救われる」「あなたは支えられている」と同じ思いで悩む人に知ってほしいから、気持ちを込めた切り絵作品を、必要とする誰かに届けたい。
老若男女問わず救われないと思っている現代人はいっぱいいるだろう。いっぱいいるから、いっぱい作品を届けないといけない。
うんうん、仏師の円空さんや木喰さんのような気持ちかな。
手が千本あるわけじゃないから、今生で届けられる誰かというのは限られるかもしれないけれど、命ある限り作り続けたいのです。
それが私自信の救いになるかもしれないから。