木を依代に仏と対話してきた日本人の信仰心を感じて観た「木×仏像」

この展覧会には、今回で2回目の観覧です。

やっぱり平安期ぐらいの素朴な仏像を、もう一度じっくりと観たいと思いました。

特にまだ木彫の技術も拙く、切り出した木をそのまま使って、一木造りで作られた仏像は魂が宿り、表現し難い強い生命力を感じます。

数百年以上の時を経て、木が風化しても、虫に食われて朽ちかけていても、長いときを刻んできた分、感じる生命力はより強さが増している気がします。

どんな姿になっても、中に宿る魂を敬い尊ぶ精神は、日本人の信仰心ならではかもしれません。

気になった仏像をじっくりと観ていきたいと思います。

木と仏

目次

木造 天王立像(飛鳥時代・7世紀)東京芸術大学美術館

木造 天王立像(飛鳥時代・7世紀)東京芸術大学美術館

飛鳥時代7世紀に作られた、クスノキの一木造りの仏像です。

堂々とした立ち姿が、どこから見ても美しい。

浮き出た木目から、流れた時の長さを感じさせてくれます。

飛鳥時代は、仏像を作る際にクスノキを用いられることが多かったといいます。

クスノキは香りが良いのと木目が美しいので、それが好まれたのでしょうか。

ただ、しっかりと乾燥させてから彫っていかないと、かなり暴れてしまう木なので、仏像制作に使うには難しいと思います。

それともこの時代のクスノキは、まだ彫りやすい性質を持っていたのか? 自然環境も現代とは違うので、そこは知りたいところです。

木造 菩薩立像(飛鳥時代・7世紀)東京国立博物館

菩薩立像(飛鳥時代・7世紀)東京国立博物館

飛鳥時代7世紀作。

いかにも大陸の影響を、そのまま映し出したようなエキゾチックな雰囲気を持つ仏像です。

しかも体のバランスがユニークな造形で、立像だけど半立体のようで身体の厚みはありません。

とにかく信仰の対象として、人型のものを置きたいという想いが先行して、急いで作ったかのようです。

思い立ったらすぐにカタチにしてみること、そんな日本人の職人魂は僕も引き継いでいきたいと常に思います。

塑像 菩薩立像(奈良時代・8世紀)大阪市立美術館

この仏像は、木材を芯にしてその上から粘土を盛り付けながら、仏像の形を作っていくと製法です。

奈良時代に流行した方法らしいです。

展示されているものは、両腕が無いトルソーのような仏像で、それがかえって造形の美しさを醸し出しているから不思議です。

とても素朴な味わいがある仏像です。

木造 弥勒如来坐像(試みの大仏、奈良~平安時代・8~9世紀)奈良・東大寺

試みの大仏

ひと昔前のおやじの背中を思わせる、ずんぐりとした体格の坐像です。

高さは30センチぐらいだけど、大仏を見ているようなスケール感があります。

衣紋の彫りは深くて、滑らかなのが印象的。

少し離れた場所から、この仏像を見ても存在感があります。

この仏像は、ちょっとユニークな面があって、なんだか憎めない、前のめりに信者に語りかけるような姿勢がまた良いです。

見下ろすような感じより、こういう姿勢は仏画を描く上でも参考になります。

木造 薬師如来坐像(奈良時代・9世紀)奈良・宮古薬師堂

薬師如来坐像(奈良時代・9世紀)奈良・宮古薬師堂漆が塗られているのだろうか、全体的に黒光りして体格が良い仏像です。

この仏像は、絶対に横から見たほうが良い。

まるで集まった信者に、説法をしているような手つきと表情が印象に残ります。

また、人々の声を聞き漏らさずに受け止める大きな耳の造形が、仏とは人々にとってどういう存在であるべきなのかを教えてくれます。

仏は人々から見ると、はるか頂上にいて拝まれる存在だけど、同時に人々の近くに寄り添う存在でもなくてはならない。

それを表情や眼差しの方向、口元、手先のかたちなどで、表現する必要があります。

少し角度が違ったりするだけで、仏像から受ける印象が全く異なるものになるでしょう。

木造 十一面観音菩薩立像(平安時代・9世紀)大阪・長圓寺

十一面観音菩薩立像(平安時代・9世紀)大阪・長圓寺

個人的にこの仏像は、好きなかたちをしています。

全体的に丸い印象があり、世話好きのお母さんという感じです。

とても優しく、柔らかな立ち姿が、この仏が何の役目でこの世に出現したのかを語っているような気がします。

この仏像の表情を見ていると、長い年月の間にどれだけ多くの人々に愛されてきたのか、よくわかります。

仏像は最初に納品した直後から、人々から受ける信仰の念によって表情が変わっていくといいます。

だから、その仏像が良い表情をしていたなら、人々に愛されたのだということがわかります。

木造 阿弥陀三尊像(平安時代・9世紀)大阪・四天王寺

阿弥陀三尊像(平安時代・9世紀)大阪・四天王寺

脇侍の仏像のポーズがとてもユニークです。

片足をひょいと上げて、拝みながら駆け寄ってくるような感じです。

まるで困っている人を見つけて、「どうしたの?」って言いながら駆け寄るように見えます。

木造 宝誌和尚立像(平安時代・11世紀)京都・西住寺

宝誌和尚立像

宝誌和尚が指で自らの顔を裂くと、中から十一面観音が現れたという奇譚を具現化した仏像が目を引きます。

地蔵菩薩の信仰が広まったのは、平安時代。

より民衆に仏教が浸透しはじめた時代に造られた宝誌和尚立像は、仏は自分と離れた場所に居るのではなく、常に自身の中に存在する身近なものだと言いたげです。

この像は、一木造りで、鉈彫というノミ跡を残す方法で作られています。

何度見ても、この像は仏が本当に宿っているような息づかいを感じます。

表面に付けられたノミ跡は、木目に沿って付けられているのではありません。

仏師が意図的に考え、想像した気の流れに沿って付けられているような感じがします。

祈りを伝える者とは、どうあるべきなのか?

この仏像からは、自分自身にそれを問いなさいと言われているような気がします。

自分の内面にある仏心に尋ねてみなさいと・・・。

その応えは、生きることの厳しさを伝えているのだろうか? それとも励ましなのだろうか?

生きることは甘くないが、生きるための知恵と支えとなるものは、自分の内にあると伝えたいのだろうか・・・。

木造 地蔵菩薩立像(平安時代・10世紀)奈良・薬師寺

細く閉じられた目と柔らかい表情を見せる口元。

少年僧のような、爽やかな姿が印象的な地蔵菩薩です。

法を説くものは、年老いても少年のような純粋な心と、清らかな姿で存在しなければならないと教えられます。

木造 地蔵菩薩立像(平安時代・10世紀)大阪・蓮花寺

身体の下から上へと、全身から気のエネルギーが湧き上がっている様子を表現しているようなパワーを感じる仏像です。

地蔵菩薩立像(平安時代・10世紀)大阪・蓮花寺

長い間、水に浸けられたからか、全体的に木目が異様なまでに深く浮き出ています。

その深い木目が、強い気の流れを表現しています。

まるで木が本来宿していた魂が、表に浮き上がってきた感じがします。

側に近づこうとすると、強いエネルギーを感じて、すぐには近寄りにくいと思ってしまう珍しい地蔵菩薩です。

一般的に地蔵菩薩は親しみやすい印象ですが、この蓮花寺の地蔵菩薩はそれらとは全く印象が異なります。

木造 地蔵菩薩立像 あごなし地蔵(平安時代・10世紀)大阪 和光寺

地蔵菩薩立像(平安時代・10世紀)大阪・蓮花寺

かなり風化し、朽ちた表面が、長旅を続けている高僧のような威厳を与えている仏像です。

お地蔵さま、あなたがこれまで歩まれてきた旅の話を聞かせてください・・・そう尋ねたくなります。

「よしよし、聞かせてあげよう」優しい表情が、そう言ってくれているような気がしました。

木造 不空羂索観音菩薩立像(平安時代 10~11世紀)東京芸術大学美術館

不空羂索観音菩薩立像(平安時代 10~11世紀)東京芸術大学美術館

かなり風化し、朽ちてヒビ割れた木造仏。

また自然のままに土へ還る前の姿なのでしょうか。

自分の役目を終えて、満足げな表情を見ていると、展示会場から運び出して、そっと土の上に寝かせてあげたくなりました。

木造 虚空蔵菩薩立像(平安時代 10世紀)大阪 孝恩寺

虚空蔵菩薩立像(平安時代 10世紀)大阪 孝恩寺

虚空蔵菩薩としては、変わった衣を着ています。

説明書きでは、吉祥天の可能性も高いという。

本来は極彩色が全身に施されていた思えるぐらいに、彫りが深くて、まるでギリシャ彫刻の神像のようです。

平安から鎌倉へと移りゆく時代の中で変わる木造の技法

この時代には寄木造りなど、造像技法が発展し、より写実的な造形が増えていきました。

もともとは大陸から伝来した仏像が、長い時代を経て徐々に日本独自の仏の姿へと変わっていきます。

鎌倉時代になると慶派と呼ばれる天才仏師集団が登場し、見事な造形を披露しますが、技術の進化と引き換えに薄れてしまったものがあります。

それは、ひたむきに心に寄り添う仏像です。

木造 聖観音菩薩立像(平安時代 12世紀)大阪市立美術館

なんだろうか、この仏像は、今まで見てきた仏像にあった親しみやすさを感じられない。

人の心に寄り添う仏というより、どこか近寄りがたい存在に感じます。

住む世界が違う・・・そんな壁を感じるのはなぜだろう?

仏教を取り巻く世界も、時とともに資本主義的な思考に侵されていったからだろうか。

木造 不動明王立像(平安時代 12世紀)兵庫・太山寺

不動明王というと怒った表情や、睨みを効かせた強面の面構えが特長だと思います。

しかし、この不動明王は、童子のような愛らしい姿をしています。

まるでこれから明王になるための修行の旅路に出ようとしているような、その一歩を踏み出しているかのような印象があります。

木造 阿弥陀如来坐像(鎌倉時代 13世紀)奈良・新薬師寺

すぐ側に座って、何か説法を聞かせようとしているかのように見える姿。

落ち着いた表情で「さぁ、これから仏の物語を聞かせてあげよう・・・」と話しかけられているような気がしてきます。

横から見ると、前かがみの姿勢になっているのも、人に近寄ろうとしている優しさを感じます。

木造 十一面観音立像(平安時代 12世紀)滋賀・誓光寺

十一面観音立像(平安時代 12世紀)滋賀・誓光寺

与えられた人生を淡々と歩んでいる人に向かって、「ちょっとお待ちなさい」と呼び止めるような仕草をしている観音様。

右足を少し前に出している姿に、前向きな動きを感じます。

でも頭部にある仏様たちの顔を見ると、この観音様には嘘はつけないし、呼び止められたら、今ある全てを包み隠さず話さなければならないという気にさせます。

そういえば、仏の役割の1つに、そんなこともあるのかもしれないと、ふと思いました。

木造 釈迦如来坐像(平安時代 11~12世紀)大阪・東光院

釈迦如来坐像(平安時代 11~12世紀)大阪・東光院

この釈迦如来の脇侍である普賢菩薩と、文殊菩薩の造形が素晴らしい。

10センチにも満たない小さな仏像なんだけど、実測以上のスケール感があり、作った仏師の技量の高さが伺えます。

小さくても、大きな仏像にも引けを取らない存在感があります。

木造 十一面観音立像(江戸時代 17世紀)

円空

鎌倉時代から江戸時代へ。

仏像彫刻がどんどん写実的になり、まるで現実に生きているような存在感があり、雲の上から見られているような、民衆からは遠く離れた印象になった気がします。

逆に江戸時代に現れた円空の素朴な仏像は、人心にさらに近く寄り添う安心感と、触れたくなる親しみやすさがあります。

円空の仏像を見ていると、やっぱりこれが仏像の原点というか、本来あるべき役割を形にするとこうなると思いました。

木造 秋葉権現三尊像(江戸時代 17世紀)

秋葉権現三尊像

これも円空の作品です。

神仏は人間ではないから、写実的になりすぎてはいけない。

見る人に想像できる余地を残し、見る人の内面にある信仰心を育むものでなくてはならない。

この三尊像を見ていると、円空がそう言っているような気がしました。

2回目の観覧を終えて…

やはり1度見ていると、見るべきポイントや見たいものが絞りこめたので、じっくりと鑑賞することができました。

さらに今まで鑑賞中にメモを取ってなかったのですが、調べてみると美術館や博物館では、メモを取る時の筆記用具として、鉛筆だけが許されて、他のシャーペンやボールペンなどはダメとのこと。

鉛筆なんて、何年ぶりに使うかなって感じで、久しぶりに鉛筆を削りました。

さて、今回は特に「仏像の役割」について、とても考えてしまいました。

人は信仰の対象として、常に形のあるものを神の依代として選んできました。

でも、より身近な対象としてや、実在するものとして存在感が欲しいという想いが、人間に近い形へと造形を変化させていきました。

それが仏像や神像になったのだと思いますが、平安から江戸へと時代の流れの中で、仏教と民衆の距離感の変化を感じることができました。

その中で最後に円空の仏像で、締めくくることができたことはとても印象深かったなぁ。

木と仏

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