甲可日雲宮(滋賀県甲賀市土山町)~1000年前の神域を思い浮かべ参拝~

甲可日雲宮(滋賀県甲賀市土山町)~1000年前の神域を思い浮かべ参拝~
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昔々、甲賀の地は深い森の中にあり、常人近寄りがたき神域であった…かもしれない

甲可日雲宮の周囲に広がる茶畑

周りは広い茶畑。森の中にポツンとある小さな神社。
元伊勢の一つとして伝わる場所と聞いていたので、一瞬間違ったかな?と思って地図を確認したぐらい目立たないところです。

昔、倭姫命が淡海国甲可日雲宮で天照大神を4年間、斎奉されたと伝えられている比定地のひとつとして伝わっています。

森の入り口に立つ石の鳥居をくぐって、すこし上り坂になっている参道を歩くと小さなお宮がありました。

お宮の中はミツバチの巣になっていました。近づきすぎると危険です。

しかし、お宮は中でミツバチが巣を作っていて、忙しく飛び回っているから近寄ることはできません。夏の時期は要注意です。

すぐ隣には赤いお宮がありますが、これはお稲荷様でしょうか? 

さらに斜面を登ると何かあるかもしれないと、少し上ったけどその先には茶畑が広がっているだけでした。

なぜこの地を元伊勢の一つとして考えたのか?全くイメージできなかったのですが、ここで知り合った方にお話を聞いて納得しました。

ここで知り合った人に話を聞くと、大正時代にはこの辺一帯は深い森であり、その中はとても怖くて歩けなかったそうです。今は国道1号線ができて茶畑が広がってとても明るくなっていますが、それよりも昔の様子を想像すると常人では近寄りがたい神域であったのかもしれないと思いました。

甲可日雲宮が元伊勢であることを裏付ける「垂水斎王頓宮跡」

甲可日雲宮から茶畑に沿って少し歩くと、すぐ近くに垂水斎王頓宮跡(たるみ さいおう とんぐうあと)があります。
ここには伊勢神宮の遷宮で移築された社殿があります。

この地は、斎王が宿泊地です。
斎王とは、天皇が即位するたびに伊勢神宮に奉仕する未婚の皇女または女王のこと。

その一行が、都から伊勢斎宮まで5泊6日の旅へと御出駕されます。この旅を斎王群行といい、その一つの宿泊所が頓宮です。

垂水斎王頓宮跡には、378年間に31人の斎王が宿泊され、国の史跡に指定されています。

森の中は平地で、結構広くて昔はここに立派な建物が、幾棟も建っていたいたのだろうかと、想像してしまいます。

頓宮跡地は全国にありますが、国の指定を受けているところは、この垂水斎王頓宮跡だけだそうです。
この垂水の頓宮跡は、昭和10年に、当時、内務省から派遣された学者達がこの現地を調査した結果、頓宮跡地であることが実証され、昭和19年には文部省より国の史蹟に指定されました。

由緒/
横田川に臨む丘陵の麓にあり、仁和二年以来齋王の伊勢參向に際し御休泊あらせられたる處なり。
所在地は、今大字を頓宮とし、其の氏神なる川田神社の寛永十一年の棟札に垂水頓宮村とあり、又舊阯に近き天日雲社の安政五年の棟札にも、垂水頓宮天日雲社とあり、遺蹟は舊東海道の路線に近き景勝の地を占め路方形の土壘を繞らし、城内廣濶にして中に古井あり、古來神聖の地として牛馬を入れず樹木鬱蒼たり。

●甲可日雲宮(こうか ひぐものみや) の概要

所在地/滋賀県甲賀市土山町頓宮
創建年/不明
御祭神/天御中主神

●地名の由来
甲可日雲宮の「甲可」という文字が気になったので、その由来を調べてみました。
もともとは「かうか」という地名に、縁起の良い漢字をあてたそうです。

甲賀の地名は古く、『日本書紀』の中に百済系豪族「鹿深臣」の記述があり、すでに6世紀末には、この地が「かふか」あるいは「かうか」と呼ばれていたと考えられています。

奈良時代には、「かうか」に縁起の良い漢字をあてて「甲可」や「甲賀」と記していたが、やがて「甲賀」に定着し、近江東南部に広大な面積を占め、「甲賀郡」と呼ばれる近江の国を構成する一部となりました。

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