幾年もの風雪にさらされ、雨と湿気の中で様々な命が石に宿っていく。
なんて尊いのだろう。
墓石も石仏も所詮人間が造った作品にすぎず、永遠にその姿を留めることはできない。いつかは高野山の土に還る日が、長い年月をかけてやってくるのです。
それを無常という人もいるだろうが、決してそうではない。墓石や石仏は長い年月の中で祈りを受け止めることによって生きた存在となります。
やがて参る人もいなくなり、役目を終えたとき、少しずつ高野山の自然に同化していくのでしょう。
目次
長い年月を経て高野山の自然に還るものたち
大樹によりそう仏たち
高野山奥の院(和歌山県)その1~真言密教の霊域で自然に還る儚さと尊厳を観た
空海の読経が聞こえるような厳かな霊域で信仰の深さを知る 迫力のある巨木林があるのも奥の院参道の魅力です。 弘法大師空海が深い禅定に入られて1200年以上、高野山信…