天橋立の北にある籠神社(元伊勢籠神社)の奥宮で、別名を久志濱宮(くしはまのみや)とも云う眞名井神社(まないじんじゃ)。籠神社からさらに北へ、山の方へ森を登っていくと鳥居があります。
鳥居のすぐそばには「天の眞名井の水」があり、冷たい湧水を汲み上げています。
この水は籠神社海部家三代目の天村雲命が神々が使われる「天の眞名井の水」を黄金の鉢に入れ、天上より持ち降った御神水だと伝わっています。
狛犬ならぬ阿吽の龍に睨まれながら、石の鳥居をくぐって石段を登りきったところに社殿がありました。
黄金に輝く現代の眞名井神社に何を思う
今の社殿は2016年に建て替えられたもので、まだ新しい。それまでは江戸時代に建設された社殿がありましたが老朽化が進んだために建て替えたようです。ちょうど外国人観光客も増加していた時期なので、それも見越してのことだったのでしょう。
この社殿の裏には2500年前から、祭祀場として使われてきたという磐座があります。
5年前まではすぐ側まで近寄れたそうですが、現在は柵があるので遠くから眺めるだけです。
まだ神様を祀る社殿が無かった古代、人々は大きい木や岩石(磐座・いわくら)など自然のものに天上より神様が降りてきて宿ると考え、神々の世界と人の世界をつなぐものとして信仰されてきました。この眞名井神社に来れば、その様子を少し想像することができます。
今は観光用にきれいに整備されているので、今一つ神の凄みを感じることができないのですが、ここに来て祈りをささげる価値は十分にあると思います。
誰もいない境内で、一人でじっと磐座を眺めていると、祭祀を執り行っている縄文人たちの姿が見えてくるような気がします。
眞名井神社の伝説
神代の昔、大和国から眞名井神社に天照大御神が初めて遷りました(移り)。
その後、天照大御神と豊受大御神は、共に真名井神社に祀られるようになりました。
やがて、天照大御神は伊勢へと遷り、その後を追うようにして豊受大御神も伊勢へと遷りました。
なぜ豊受大御神が伊勢へ遷ることになったのでしょうか?
それは、伊勢に遷った天照大御神が「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の真名井にいる豊受大御神を近くに呼び寄せなさい」と時の天皇の夢枕に立って言ったためだったとか。
●眞名井神社の概要
所在地/京都府宮津市大垣小字諸岡86
御祭神/
磐座主座/豊受大神(とようけおおかみ)
相殿/罔象女命(みづはのめのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、神代五代神(かみよいつつよのかみ)