貫禄あるスダジイの巨木と社殿に彫られた動物たち
経ヶ岬に至るまでの海岸沿いを走っていると、泊港の手前に道路に面してあるぽつんとある小さな神社。
鳥居を見上げても何の神社かも書かれていない。派手な飾りも無くとても素朴な神社です。
鳥居の側には大きな巨木(たぶんスダジイ)があります。表面の樹皮がゴツゴツとして迫力のある個性的な姿が特徴です。
神社の社殿は外側に保護するためだろうか小屋が立てられてその中に入っていました。
中に入ってお参りをと思い、お賽銭を投げて鈴を鳴らそうと鈴を見上げるとやはり海岸沿いだからか、銅製の鈴に緑青がついて錆びていました。3つあるうちの1つは半分に割れて既に壊れていました。
お参りを済ませてゆっくりと社殿を眺めてみると、所々にあしらわれている木彫が非常に見事です。生き生きとした表情豊かな龍や猫そして様々な動物が彫られれていました。
七社大明神には、観光地にあるような大きな神社にはない魅力があります。それは集落の人たちに愛され守られてきただろうということと、信者の人々の祈りがとても詰まっていることを感じるからだ。その歴史を見るだけでも価値があるのではないだろうか。私はこのような素朴な神社も大好きです。
●七社大明神の概要
所在地/京都府与謝郡伊根町泊36
七社大明神は江戸時代、泊・伊室・六万部三村の産土神であった。文明14年銘の七所社棟札を所蔵、同社の4月15日の祭礼には、当地区から太刀振と花の踊、井室から神楽、六万部から相撲が奉納される。
祭神/天神七代
(天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神・宇麻阿斯詞備比古遅神・天之常立神・国之常立神・豊雲野神)
…泊・井室・六万部の産士神。
沿革/創建は天暦元年(947)4月
しかし「文明14年(1482)8月26日上棟」と記された棟札がある。
棟札には「七所社修造事始」として、文明14年8月9日に取りかかり、「仮殿出御」が同13日にあり、「上棟」が同26日で、「御遷宮」が9月3日に行われている。
●祭礼
【宵宮】
四月十四日午後、初め海岸の道路に出て海に面し、大島(老人鳥神社)・小島・竜権さんに太刀振りと花踊りが行われ、つづいて横路の愛宕社・秋葉社に奉納され、最後に荒神山の山根川神社に奉納される。
祭典行事は棒振り・小太刀・三人棒・大太刀(葵太刀)・花踊りの順にて奉納される。
夜は太鼓台に笹竹をくくりつけた屋台に、手丸提灯を数多く吊し、太鼓を打ちならしながら伊勢音頭で泊・井室の順に宮入りをなす。宮入り後は七神社の境内で御神火をたき、神酒を汲み交し本祭の打合せをする。
【本祭】
十五日、午前中に神官による礼拝の儀があり、泊・井室・六万部の役員並びに氏子が参拝する。式が終ると同時に泊の猩々緋・笠鋒を先頭に宮入りをなし祭典が行われる。
祭典には井室の神楽が舞われ、つづいて棒振り・小太刀・三人棒・大太刀の順に奉納され、つづいて花踊りがあり、最後に子供・若衆による花相撲が数番とられる。
●丹後伊根町の民話より
【ご神体の取りあい】
七社大明神は井室と六万部と泊との、郷の氏神さんです。
昔々、七社大明神のご神体を自分の部落に持って戻って祀るといって、一つのお宮さんを取りあいました。。
井室の人が、白い風呂敷に七人のご神体を負うて、道路を通ると六万部のもんに見つかるから、山を越えて井室へ行きました。
そうしたら、背中から後光がさして、道が明るいどころか、人が見ても周辺がぱあーっとかなり明るくなりました。
何事だろう?と人が見て、とうとう見つかって、また、もとあった泊に取り戻されて、そして泊は戸数が大きいから、ここのお宮さんに納りました。
ご神体を負うて逃げた井室の人たちは、ばちが当たって、はやり病がべたべたはやったけど、そいつにかかわらなんだ二軒だけは一人も病人が出なかったそうだ。