龍鎮神社(奈良県宇陀市)〜深谷龍鎮渓谷の森に観る龍神の姿〜

龍鎮神社(奈良県宇陀市)〜深谷龍鎮渓谷の森に観る龍神の姿〜

室生湖(室生ダム湖)の周回道路の一番南東部分に赤い欄干の龍鎮橋がかかっており、その横に深谷龍鎮渓谷の入口があります。
この渓谷の奥に龍鎮神社があるということなので、深谷川に沿って続く遊歩道を歩きます。

目次

時として激流と化すのか?静かな清流を眺めながら思う

渓流沿いを歩いていてよく見ると、とても大きな岩盤の上を水が流れ、川となっています。
とてもとても広くて大きな岩盤です。しかも尖ったところやゴツゴツした部分がなくて滑らかでのっぺりとした表面の岩盤です。
それから想像すると、非常に長い年月をかけて岩が削られた岩であり、時として激流へと川が豹変することも安易に想像がつきます。
大雨の日やそのすぐ後にここを歩くのはとても危険だなと思いました。

大きな岩がゴロゴロしてます。四角く角が立った岩だから落石でしょうか?

深谷龍鎮渓谷の森は、川を覆うように鬱蒼と緑の樹木が生い茂り、植林され真っすぐに伸杉や檜の密集エリアも見えます。

渓流に大きな岩盤があるように、山肌を見ても大きな岩があちらこちらに露出しています。中には今にも落ちてきそうな迫力のあるものも。

その中には、人工的に岩を割った鋭い切り口の岩盤があちこちにありました。自然に落ちて割れたものなのか? それとも石切り場でもあったのだろうか? その情報も見つけることができず謎のままです。

とにかくこの渓谷は緑が濃い!どの岩にも樹木にも厚い苔がびっしりと生えていて、もののけ姫の舞台を見るようなそんな雰囲気があります。

山側を見上げると、今にも落ちそうな大きな岩がゴロゴロしています。

空気、風、水流、環境全てが神々しい

やがて左に龍鎮神社と書かれた小さな鳥居が現れました。そこから深谷川に降りる細い道が参道です。
しかし、柵があっても道が濡れているうえに滑りやすく、川に落ちないかと緊張しながら下りました。

川沿いの参道はとても滑りやすい

やがて小さな東屋風の簡素な拝殿に到着しました。
拝殿から対岸をみると岩壁に小さな社殿がありました。

そして拝殿から参拝してもいいのですが、せっかくだからと社殿のそばまで行くことにしました。
ただし社殿の前まで行くには、川を渡っていかなければならない。もちろんジャブジャブと足を水につけながら歩いていくことになるので、拝殿でズボンの裾を上げて、靴下を脱いで準備を整えます。

次に川底の大きな岩盤の上を歩いていくのだが、これがツルツルとよく滑ります。上手にバランスをとりながら社殿の前まで行かなくてはいけません。

岩盤の上を流れる川の水はとてもとても冷たく、暑い夏は足をつけると気持ちが良い。

社殿のすぐ横を見ると小さな滝があり、その下の滝壺は碧色に澄んでとても美しい。
岩盤を段々に流れ落ちる水流を龍に見立て、滝壺を龍の住処と考えるのもよくわかるぐらいに神聖な環境です。

滑らないように注意しながら社殿の前に立ち、ゆっくりとお参りをします。ここに立つと個人の願いなどちっぽけに感じてどうでもよくなります。自然と世界の幸せを願ってしまいます。これも不思議な感覚でした。

お参りをした後は、しばらくこの神聖な空間の中で、何度か深呼吸をして自然のパワーをいただきます。

この神々しく美しい環境を大切にしてほしい

大きな岩盤の上を滑るように流れる川

深谷川は、どちらかと言えば小さな清流です。しかし河原の石を見ていると、どれも卵のように丸くに削られています。それを見るだけでもこの川がいかに暴れ川であることがよくわかります。台風や大雨の時などは川が氾濫して大変なことになるだろう。河原の石ががそれをよく物語っています。

だからこの景観が永遠のものではないことを私たちは知っておかなければなりません。昨今の異常な天候が今後も続くと思われ、近い将来このあたりの景観は一変するかもしれない。
だからこの地を訪れたなら、単にお願いをするだけでなく、龍が棲む環境のことを考え、人間の役割を学んでほしい。特に若者や子供たちが訪れるならその機会を大人が与えてほしい。

怖れを忘れた日本人

龍鎮神社を参拝して、しばらく周辺の山道を散策してからまた戻った時のこと、神聖な社殿の周りは家族連れのバーベキュー会場と化していて、その恐れを知らぬ風景に愕然としました。
滝壺で大人たちが水着で泳ぎ、テントの周りで子供たちや大人たちが騒いでいました。
なぜこんな行為が平気で行えるのか?

この地で神聖なものを感じ取る感覚を、完全に失くしてしまったのか?
自然に対する恐れ、霊的な怖れなどが日本人の魂の記憶から完全に消えてしまったのか?

その愚かな様子を見ながら、この環境が自然の力で破壊されてしまうのは時間の問題かもしれないと確信しました。

●龍鎮神社(りゅうちんじんじゃ)の概要

所在地/奈良県宇陀市榛原荷阪

御祭神/高龗神(たかおかみのかみ)
※「日本書紀」にみえる神。
伊奘諾尊(いざなぎのみこと)が軻遇突智神(かぐつちのかみ)を斬ったとき生まれたとされる。「古事記」の闇淤加美神(くらおかみのかみ)とともに雨をつかさどる神として信仰される。

※伊邪那岐命(いざなぎのみこと)がその子軻遇突智(かぐつち)を斬った時に、雷神・山神とともに出生した神。水をつかさどる神として、闇龗(くらおかみ)とともに、祈雨・止雨の信仰を受けた。
「たか(高)」は山峰を意味し、「龗」は水をつかさどる蛇体の神のこと。

海神社のご由緒より/
当社は、宇陀郡室生村大字大野小字下出に所在する宇陀川沿いの丘陵の麓、旧伊勢街道より少し分かれた杜に西面して鎮座しており。豊玉姫命を主祭神とする。
創祀、沿革については明らかでないが、伝承によれば室生龍穴神社から龍神を勧請したといい、龍穴社と同様、祈雨神とされている。
なお、今回の御神躰遷座中の神像調査により、多くの神像の中に鎌倉時代の狛犬一対と、鎌倉時代にも遡り得る神像1躰存在することが判明した。
ところで現在の海神社という社称の由来は、一説には、古代当地に海人族が移り住んだことによるといい、古墳にみられる渡来文化流入の痕跡もこのことを裏付けるとも思われる。
海神が龍神に転化し信仰されることが、一般的にあったとみられており、当社でも、現本殿に波涛を描いた壁画が残されていることからすると、ここでは龍神は海に座すとして信仰していたとも推測される。

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