篠畑神社(奈良県宇陀市)~天照大神を祀る元伊勢の社~

鳥見神社から室生へ向かう途中、突然道路の左側に大きな鳥居が目に入りました。全く予定もしていなかった偶然の出合い。目の前に現れた神社に妙に惹かれて立ち寄ることにしました。

ここは篠畑(ささはた)神社という。いつの時代の創建なのだろうか。

篠畑神社(奈良県宇陀市)~天照大神を祀る元伊勢の社~
目次

篠畑神社の創建は平安初期?

篠畑神社は「元伊勢」の一つとされ、創建もこれに因み「天照大神」を祀ったものとして伝えられています。

元伊勢とは、「伊勢神宮」が現在地に鎮座する以前に一時的に「天照大神」を祀っていたとされる地のことです。

コンクリート製の神明鳥居をくぐって、石段を上った先に伊勢神宮で観られる様な立派な社殿が現れます。

社殿は比較的新しく、狛犬も最近作られたような現代風の顔つきをしています。しかし周囲の境内の森林は、樹木がとても太くそして苔がびっしりとついています。社殿は何度か建て替えられたのかもしれませんが、少なくとも古くからここは神聖な地として扱われていたのではないだろうか。

拝殿は銅板葺の神明造風の平入切妻造。土間となっており、壁の無い開放的な構造ですが柱がとても太くて重厚感があります。この土間に立つだけで大きなエネルギーに包まれるようです。

拝殿から少し後方へ回り込むと銅板葺・神明造の本殿が少し見えます。ここに天照大神が祀られています。

立派な本殿の右側(南東側)に、最初から気になっていた「佐佐波多姫社」が南西向きに鎮座しています。
社殿は檜皮葺の一間社春日造で、ここだけ古い時代のままではないか?という印象を持ちます。

それから境内には拝殿の向かい側に4本の木にしめ縄を結んだ結界らしきものがあり、一体それが何を意味して、何故そこにあるのか?謎でした。

境内の隅に結界が設けられた場所がありました。どんな意味があるのだろうか?

●篠畑神社(ささはたじんじゃ)の概要

御由緒/
当社は、宇陀市榛原山辺三に鎮座しており、天照皇大神、市杵島姫命をお祀りしている。
国史現在社とし明治6年4月村社に昭和10年県社に列せられる。
創立 垂仁天皇25年春3月倭姫命、鎮座の処を求め、菟田の篠畑に至るとあり、 他 類聚国史3倭姫世記、日本書記通證10、日本紀標註巻7、造伊勢二所大神宮宝基本紀、大和誌(篠畑神祠)倭漢三才図会、神器考證等古文書に篠畑の記載あり、 往古は栄えしも明治24年頃氏子27にて氏神となす。
秋の例祭に倭姫命に供奉せる童女に因み、稚児7人の奉仕あり、鱠(えそ)を供える事から「鱠祭り」とも言う。

「日本書記」の垂仁天皇25年3月丙申の条に、倭姫命か天照大神を祭祀するにふさわしい土地を求めて菟田篠幡に至り、更に還って近江国から東美濃を廻って伊勢国に入り伊勢神宮を創祀されたという話が採録せられている。
のち、この頓宮の置かれた篠幡の地に天照大神を主祭神と崇めて鎮祭したのか本社の創祀であると伝えられている。
「皇大神宮儀式帳」には、「佐佐波宮」と出されており、平安初期にはこの社の原形になるようなものが成立していた可能性はある。

御祭神/
《主》天照大御神

所在地/〒633-0202 奈良県宇陀市榛原山辺三2235

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