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生きたまま仏の境地に至る
即身成仏って、将来はミイラになるんですか?と勘違いされそうですが、それは「即身仏」のことです。
「生きたまま仏の境地に至ること」が即身成仏の意味です。
私は神仏を描きながら、何のために描いているのか?誰のために描いているのか?………そもそも描くことに意味があるのか?と自問自答しています。
また、深い森や雄大な山を散策したり、大地に身を置いて野営したりする中で、生かされている役目を考えています。
即身成仏とは、空海が日本に広めた真言密教の教えのひとつです。
「生きたまま仏の境地に至る」と聞くと普通の人間では無理ではないか?激しく苦しい修行が伴うのではないか?と想像します。
真言密教では即身成仏するには「三密加持の行」が基本になると説いています。
三密とは身密(印を手で結び)・口密(真言をとなえ)・意密(宇宙の真理を心に思い描く)の三つの修を指します。
つまり「今ある私が仏である」ということに気づき、実感するための神秘的な特殊儀礼のこと。
分かりやすく言うと、すでにブッダのいる宇宙の中に私たちは生きているのだから、それに気づけば誰もがブッダになれるという意味です。
それを知っても普通は疑います。
疑うから、自分に問い、自然に問うのです。
周りが認めるのではなく、自分自身が自分が仏であるということを認められるようになるまで、その修行は続くのでしょう。
だから私は自然界に身を置き神仏を感じて、家では感じた神仏の姿を描きます。
今ある私が仏であると言えるまで。