取材を欲張らない
私が社寺を取材するにあたって、自分なりの決め事があります。
まずどこの神社へ行くかは、GoogleMapsやSNSを通じて調べてみます。
知名度では選ばずに、自分の感性に従って、何か引き寄せられるような予感がすると取材リストに加えます。
以前、とにかく片っ端から廻ってみようかと好奇心から取材したこともありましたが、そんな気持ちで訪れたところはどこか世俗的で、良い印象もなく、無駄足になってしまったことがありました。
その時に思ったことは「社寺は呼ばれていくものだな」ということでした。
取材リストになくても、別の用で現地周辺を訪れた時にふと目に入って引き寄せられた神社なども、良い出会いがあったりします。
気持ちが空気になじむまで待つこと
社寺を訪れたら、とにかく隅々まで見ること。特に周辺の空気感や風土に意識を向けることに注力をします。
呼ばれているのだから、何か受け取らなければならないことがあるのだろうという考えからです。それも強くは思いません。あくまでも自然体で無の気持ちであるがままを受け入れようとするのが、コツです。
境内の環境に気持ちがなじんできたところで、ゆっくりと参拝をします。
最初に拝殿があればそこから、なければ本殿を参拝します。
お賽銭箱の前に立つまでに、建築の在り様を眺めます。建材の色や状態、彫り物などを目で味わいます。
一礼をして柏手を打ちながら、その社に宿る御霊やご神体を感じるまで待ちます。
それから自身を語り、参拝に来たことを神様に告げます。
社叢が語る物語に耳を澄ませる
参拝を終えると社の周囲をぐるりと周りながら、この神社が周辺地域の人々にとってどんな存在なのか?これまでどんなことを見てきたのだろうか?と考えたりします。
境内の周りに社叢があるなら、入れるところまで歩いてみます。森羅万象が語ることに耳を澄ませて、それを自分の言葉に変換してメモを取ります。
私の社寺取材は、いつもこのような感じで行っています。
祈ることは、お互いを敬い、思いやりのある優しい社会の実現です。
自分自身の願望を祈ることはありません。どちらかというと活動報告でしょうか。
神様や仏様を参拝する手順や意味は、人それぞれで良いと思っています。
大切なことは、その地に宿る存在に出会えることへの感謝の気持ちをもって参拝することです。
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