人里からかなり離れた山奥に鎮座する神社を求めて
ほんとうに高宮神社はこの先にあるのだろうか?
ガードレールもない1車線の細い林道を何キロも走って、いったいどこまで行けば辿り着くのだろうと不安でいっぱいになる頃に、いきなり神社が現れた。こんな人里離れた山奥にあるなんて!
ここまでの林道は舗装されてるとはいえ、中央には厚いコケがこんもりと生えており、とても滑りやすい。道路が湿っていたせいか何度もスリップしました。
そしてガードレールも無い川沿いをバイク走るから、ここで転んでしまえば川に落ちてしまう。一度だけ車とすれ違ったが、とても怖かった。
狼が守護する元伊勢の神社
そして高宮神社に到着できたわけですが、雰囲気的には私が1番好きな感じの神社です。それにしてもこんなに山奥に連れて来られるとは思わなかったなぁ。
鳥居の前で参拝し、本殿へと続く杉並木の参道を歩きます。地面は石畳みで苔が生えているので滑りやすい。
もう一つの鳥居を通過して、階段を上ると社が現れました。なんだか最高に素晴らしい。
深い森の中の神秘的な空間に建つ立派な社殿が、あまりに人工的な異物のような印象を与え、何も意味をなさないのではないかとさえ思えました。
つまりこの山の森全体が神の領域であることをひしひしとと感じるのです。
大きく深呼吸をすると、新鮮な空気とともに神々のエネルギーが胸の中に入ってくるようだ。
耳を澄ますとバキバキと木の枝が折れて落ちる音や、パキンッと木の割れる音が時々聞こえてきます。生きている森の息遣いを感じます。
社殿は覆屋の中に保護されていて、社を奥までよく見ると極彩色の色が割と残っていました。この社は深い森の中で極彩色に輝いていたのでしょうか。
それにしても、こんなに深い暗い森なのに全く恐怖を感じません。これが神の領域という証であると思う。厳しさの中に優しさを感じる空間、本当に高宮神社は素晴らしい。ここまで来るのはとても大変だけど来る価値は十分あると思う。とても気に入りました。
高宮神社の狼伝説
境内には狼の像があり、狼にまつわる伝説が伝わっています。
●狼を撃てなかった猟師
ある日、村の猟師が高宮神社で、狼が礼拝所の入り口でお供え物を食べようとしているのを見つけました。
猟師は、神楽堂の上から狼を鉄砲で狙いましたが、鉄砲を向けると神楽堂の下から狼の鳴き声がします。鉄砲を下げると泣き声は止むのでした。また、向けると鳴き声が聞こえてきました。
猟師は恐ろしくなって家へ逃げ帰りましたとさ。
●善悪を見分ける狼
高宮神社の狼は、善人と悪人をよく見分けるそうです。
ある日、信心深い心の美しい人が夜遅く峠道を通ると、安全なところまで案内をしてくれるという。しかし、心の汚れた悪人が通ると、どこまでも追いかけてきて噛みついたそうです。
●村を巡回する狼
子ども達は、母親からよく聞かされたお話です。
「おばあさんが、ときどき夜半に起きて、廊下に出て手を合わせて拝んでいました。どうしたのかと訳を聞くと、おばあさんは『今、高宮さんの使いの方がみえて、屋敷を見まわっていてくださる。おまえもよくお礼を申し上げなさい』といっていました。」と。
高宮神社の狼は、お宮さんのお使いをして、このように夜半に村中を見まわって警かいしていてくださる・・・・・。 といって村の人たちは、狼を大切にいたわり、猟師も決して鉄砲で打つようなことはしなかったということです。
●高宮神社の概要
所在地/滋賀県甲賀郡信楽町多羅尾
御祭神/天照大神 火産霊神(明治以降)
由緒/
当社の起源は、垂仁天皇の御代に天照大神の鎮座の地を求めて、皇女蟻倭姫命(やまとひめのみこと)が各地を巡行中に、伊賀の国敢都恵宮(あえくにえのみや)より垂仁四年淡海国甲可(おうみくにこうか)日雲宮(ひくものみや)に四年間皇大神(すめらおおかみ)を奉祀されたと「日本書紀」「倭姫命(やまとひめのみこと)世紀孝第一巻」「天平永国記」と言う伝承等に記載されている。
この伝記を、天正十三年(1585)に中出治右衛門博霞及び中出雪舟と言う人が書き写した「高宮神社古文書」によると、垂仁四年六月倭姫命がこられた時、里人がお迎えしたことの委細が記録されている。
倭姫命が近江国坂田宮に移られてから後、日雲岳の麓に社を建て皇大神を奉祀し、神明宮または高宮権現と称した。
社名については、仁平年間(1151-1153)に近衛家が一時期将軍地蔵尊を合祀、愛宕大権現と称して氏神としていたが、合祀は恐れ多いと将軍地蔵尊を小川天満宮に移して古名に復した。
明治に入り火産霊神(ほむすびのかみ)をお祀りして高宮神社と改める。
神紋/近衛牡丹
近衛家の家紋。近衛家は藤原北家の嫡流であり、公家の五摂家の筆頭で、華族の公爵家のひとつ。人臣で最も天皇に近い地位にある家とされる。
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