1800年代に建てられた深い森林を背景にした社が神秘的
竹野神社は9代開化天皇の妃となった「竹野媛」が晩年帰郷した際に「天照皇大神」を祀って創建したといわれる由緒ある神社です。
鳥居で一礼をして境内へと入っていくと、一対の狛犬に迎えられます。
そして数メートル先にも一対の狛犬がいますが、なぜかどちらも阿形の狛犬の顎がはずれています。故意に割ったとした思えないが、誰かのいたずらだろうか?
社殿を見ると建物自体は1800年代に建てられたものらしいが、ここの環境が原因なのか建材が色褪せて所々腐ったところもあり、痛みが激しい。
こちらは旧竹野郡で唯一の大社の社格を誇り、拝殿には天皇家ゆかりを意味する「菊の御紋(菊花紋)」と皇室専用の家紋「桐花紋」が彫られています。
豊かな森に聖域のパワーを感じる
遠くから境内を見渡した時に、一番感じるのは「森の濃さ」です。
実際に社殿に向かう途中で回りの森を見ると、植生が豊かで鬱蒼とした森林であす。
まっすぐに高く伸びるヒノキもあれば、ぐねぐねに樹幹や枝が曲がりくねった広葉樹もあり、目を飽きさせません。同時に強い生命力を感じます。
8月と言う季節柄、ヒグラシがうるさい位あちこちで鳴いています。ヒグラシといえば早朝や夕暮れ時にもの悲しげに泣く風情のある蝉ですが、その声もここまでたくさんいると騒音でしかない。
この神社は山の麓にあり、山には「神明山古墳」があります。
そのことから、この竹野神社の土地は古代から、祭祀場として使われていたのではないだろうか?という意見もあります。
私は初めてこの神社を訪れましたが、人知れず自然の中にある神社は、なぜだかわからないが、何かが宿っているようなそんな気配を感じました。
●竹野神社の概要
所在地/京都府京丹後市丹後町宮
御祭神/天照皇大神
斎宮神社/竹野媛命 建豊波豆羅和氣命 日子坐王命
竹野神社は、『延喜式』の神名帳で大社として記される。
祭神は天照大神であり、本殿と並んで摂社斎宮神社があり、祭神として日子坐王命、建豊波豆良和気命、竹野媛命を祀る。竹野媛は丹波大県主由碁理の娘で、第九代開化天皇の妃となる。
『古事記』『日本書紀』にも記され、竹野神社は竹野媛が年老いて天照大神を祀ることに始まると伝えられる。
斎宮神社には、第三十一代用明天皇の皇子である、麻呂子親王も祀られ、鬼賊退治と丹後七仏薬師の伝承がある。この伝承は『等楽寺縁起』『斎明神縁起』として絵巻に描かれ、京都府登録文化財となっている。
現在の社殿は文政十三年(1830年)に再建されたものである。本殿は規模の大きな一間社で賑やかな装飾を有している。中門は神社の門としては珍しい向唐門の派手な印象を与える建物で、いずれも京都府登録文化財として指定されている。
この他に竹野区に伝えられ、竹野神社の祭礼に演じられる郷土芸能『竹野テンキテンキ』は、子供六人かあなる素朴なものであるが、風流囃子物の古い形をのこす芸能で、京都府登録文化財に指定されるなど、優れた文化財を伝えている。
●奇祭 鬼祭り
毎年、12月の丑の日に行われる奇祭。
この祭りは竹野神社の神主とその下社家(宮衆)だけが行い、その祭りを見てしまうと3年以内に死んでしまうという言い伝えがあった。
討伐した鬼を鎮める祭りだという事だが、鬼については殺してばらばらにして埋める、生かして閉じ込めたなど諸説あり、誰も見たことのない祭りなので謎が多い。
鬼をばらばらにして埋葬したところに建てた「鬼神塚」と書かれている石が近くの集落にいくつか置いてあるという。