茶畑の向かいにある神社の鳥居を通ると、としばらくは灯籠がずらりと並んだ参道を進みます。
周りは高く伸びる杉を中心とした森で、あまり日が射さない。
やがて木々の間から、社殿がある境内が見えてきました。
すぐに本殿に向かおうと思いましたが、左側に大きな川が見えたので、その前に寄り道をすることにしました。
この川は野洲川と言う滋賀県最大の川で、淀川水系の1級河川です。
川下を見るとず~っと向こうの方まで草原が広がっています。青空の下に見るその風景はとても気持ちがよくて圧巻です。
滋賀県最大の河川と巨樹がある神聖な境内に瀧の流れを見る
川を眺めた後は境内のほうに足を向けます。表参道の方に歩いていくと、そこには椋木の巨樹と天狗杉と呼ばれる巨樹がありました。
巨樹を見るのが好きな私にとっては、うれしい出会いです。
この周りは細い杉が多いので目立ちますし、とても迫力があります。
天狗杉は、環境省巨樹巨木林データーによれば、幹周/6.10m、樹高/38m。樹齢は6~700年。
もともとこの神社は瀧神社と書いていたそうで、昔の境内が大きな巨樹の森となっていたことから瀧樹神社と改名したそうです。
神社は古代から土地の神様を祀っていた場所に創建されました。昔は野洲川の氾濫など水害が絶えなかったことから龍を祀ったそうです。
龍は水の神だから、川の氾濫を鎮める神としてよく信仰されています。
でもなぜ「瀧」という字がつかわれているのだろう?
昔はこの近くを流れる野洲川に大きな瀧があったのだろうか?それとも高くそびえる巨木を瀧に見立てたのだろうか?
上を見上げるとまっすぐに伸びる木々が、瀧を見上げた時のような印象にも見えてきます。
2000年前からの信仰の地なので、今では想像もつかない地形だったでしょうし、考えていると興味がつきません。
境内に入って奥にある本殿を参拝します。古くからある神社のわりに建造物は新しい気がします。何度か立て替えられてきたのでしょうか。
天満宮の社殿もあった。室町時代に作られたそうです。
私の勝手な印象ですが、天満宮があると気持ちが萎えるというか、学問の神である菅原道真を祀ってお金を落としてくれる参拝客を招こうとする、ある意味資本主義の打算的なイメージが頭をよぎってしまうのです。
境内にご神木に関する由緒書きがありました。
【御神木】
御神木とは、神の乗り移る神聖視される樹木をいい、老木・巨木の類の木は御神霊と密接な関係があり、昔より信仰の対象とされている。
神社史である瀧樹神社誌には、今から約680年前の室町時代に、神社の境内には神の矛杉(ほこすぎ)がうっそうと生い茂る宮として有名であり、領主により、瀧大明神の神名を、瀧樹大明神と樹の一字を加え改名したことが記録に残されている。
この御神木もその時代からの木であり、現在、御神木の幹周りは6メートル82センチあり、直径は約2メートル20センチである。
樹齢は、約600年~700年と推定される。
明治時代の瀧樹神社の真景図にも、すでにこの杉の木は神木と明記されている。
また、この地域では天狗杉ともいわれており、天狗は信仰上の想像の霊神であり、山の神・山男に対する神秘的な信仰が関連して呼ばれた名であろう。
(瀧樹神社氏子総代)
●瀧樹神社(タキジンジャ)の概要
所在地/滋賀県甲賀市土山町前野155
御祭神/
速秋津日子神(ハヤアキツヒコノカミ)
速秋津比賣神(ハヤアキツヒメノカミ)
御配神/
大山祗神(オオヤマツミノカミ)
事代主神(コトシロヌシノカミ)
宇賀魂神(ウカノミタマノカミ)
御由緒/
古くより川田神社として地主神を奉斎。
垂仁天皇四年、倭姫命は、天照大神を奉じて近江国甲賀郡垂井日雲宮に至り、ここに座す。
それから四年、この間川田神社にて調膳を司った関係で、大神に神縁深い滝原宮より仁和元年速秋津日子神、速秋津比賣命の二柱の分霊を勧請し之を地主神の城内に合祀し社号を川田神社滝大明神とする。
そして岩室郷頓宮牧の産土神と崇め奉り郷中の総社とし、祭礼儀式は特に鄭重を極めた。応永年中、地頭岩室主馬頭橘家後が樹の文字を加へ奉り、瀧樹大明神と改号した。
旧社格は郷社。
神宮寺は明治まで観音寺としてあった。
瀧樹神社由来/
この神社の由来は、約2千年前からの神聖なる地として、知られている神社である。
倭姫命(やまとひめのみこと)が、巡幸された時、この場所に朝夕の調膳の殿舎を建立されたところであり、さらには斎王郡行の斎王が禊をされた川が近くにある。
平安時代の仁和元年(885)に伊勢国、瀧原宮の長由介の宮の御祭神、速秋津比古之命(はやあきつひこのみこと)・速秋津比咩之命(はやあきつひめのみこと)の御分霊を勧請して本社の主祭神としている神社である。
室町時代の文明二年(1470)には、当寺の領主であった岩室主馬頭家俊と云う人が京都北野天満宮の御祭神で学問の神と云われている菅原道真の御分霊を勧請しそれを本社に遷宮され、並宮として祭祀されている。
祭礼/
5月3日 けんけと祭り
俗に杣踊りとも称す。
この舞いを演ずるのは、氏子中7歳以上12歳までの男児8人である。頭に鶏毛を頂き小袖をつけ、細袴を穿ち小さな鐘太鼓を打ち、棒振り2人と田楽の一隊とともに踊る。
鐘・大太鼓・笛を奏して「弥実爾毛狭阿度奈弥実 爾毛狭阿度奈佐和 鶏 毛争 合才 毛争 共合才々々」(げえにもさあとないやあよげ にもさあとなさわ けんけと けんけん けと けんけんけとけんけん)の歌謡を唱える。
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