形にこだわる自分が恥ずかしくなる~国立国際美術館 開館40周年記念展「トラベラー」

トラベラー

私は昔から旅をすることが大好きです。
遠く離れた土地を旅することも、精神世界の異次元を旅することも、好きです。
大阪中之島にある国立国際美術館では、「トラベラー」と題した展覧会が開催されています。
「トラベラー」とは、観覧者、つまり私自身のことを指す。

だから、美術館内に入れば、私はアートの世界を旅する人になった気分になります。
館内はそれぞれに区切られた部屋ごとに、現代作家たちの摩訶不思議な作品が迎えてくれます。
ここには何ものにもとらわれない自由な発想と信念に満ちています。
ドローイングや彫刻だけじゃなく、それに加えて音や映像などあらゆるものがアートの素材としてミックスされています。

なんてわがままで、なんとまぁ自由奔放な空間なんだろう。
規制概念や物の形にとらわれない作家たちの思い切りの良さに驚嘆するとともに、創作のエネルギーに圧倒されてしまう。

作品に宿る様々な思想の迷宮の中には、本当の形があるのだろうか?
それさえもはっきりわからない。
苦しいのか?、楽しいのか?、愛し合っているのか?、悶ているのか、その意味を考える事自体が作品に対して失礼に思えるぐらい馬鹿らしくなります。

ここでは、自己の気持ちを大きく広げて、心を空っぽにして、奇想天外な世界を味わうことが大切かもしれない。

トラベラー

目次

作品の説明書きは存在しない

この展覧会には、それぞれの作品の説明書きがない。
いや、すでに作品の説明は自分の中にあるので、それを導き出せばいい・・・全ての説明は観覧者の感性に委ねられています。

今の社会は、あらゆるコトやモノ、メディア全てに説明が伴うという少々うるさくておせっかいが過ぎています。
説明書きは、そのモノを知る上で便利な半面、想像力を退化させてしまうという面もあり、そのおかげで他力本願な思考しか持たない弱々しい人間が増殖しています。

説明があると、1つの考えを強制的にインプットされてしまい、それに囚われて意識ががんじがらめになってしまう。音声ガイドも貸し出されているが、正直言って説明を聞いてしまうとそれだけで目の前の作品の魅力が、誰かの考えに固定されて半減してしまう気がします。

自分で自分の心で目で想像して、作品から発せられているメッセージを受け取ること。
想像できないのなら、その頑固な思考と、幼い想像力を自分自身が恥じることです。
そしてたくさんの作品を見て鍛える事で、もう一度訪れたときには、印象が全く違ったものになっているはずです。

展示している作品は、観覧者の気持ちを無視せず、必ず何かを教えてくれる、視点を変えてみること、視点を変えて聴くこと、視点を変えて考えること、1つの角度から見ないこと、1つの方向に限定しないこと、不協和音の楽しみを知ることです。

トラベラー

展示作品の印象が魂を突き抜けた後に思うこと

美術館内を徘徊するトラベラーとして、様々な作品を通して自分のこれまで作ってきた作品を振り返ってしまう。
そして、作品創作への取り組み方を考えさせられてしまう。
私は、まだまだ形にこだわりすぎであることに気付かされた。
私が本当にやりたい表現は、形にこだわることでは無い。
私は切り絵で図案を作っているのではない。切り絵でドローイングをしたい。
森羅万象の環境で得た感性で、形にとらわれないドローイングをしよう。

トラベラー

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