2016年は地震などによる天災をはじめ、歪んだ人間性が発端の悲惨な事件、終わらない戦争など、世界の様々な所で人々の祈りの声が聞こえてきます。
特に日本では、その祈りの矛先が社会不信や、政治不信に向かい、他力本願の傾向にあるように思います。
地蔵菩薩は、自らも修行のために人びとのそうした声を拾いながら、人々を諭し、道を示され、愛情を尽くして眼差しを向けられています。
しかし、地蔵菩薩が本当に望まれる姿は、人間一人ひとりが自らの足で立ち、同じように自らも祈りの心を持ちつつ、人々を救い、道を正す働きを担うことだと思います。
祈りは他力本願ではありません。
自らを諭す行為でもあります。
そんな地蔵菩薩の説法を聞いているような気持ちで、この作品を作りました。
地蔵菩薩の修行像を通じて、祈りの真の意味が少しだけでも観えてくるようにと気持ちを込めて。
●作品名/地蔵菩薩の修行像(Ksitigarbha)
●サイズ/約297×210mm