技芸に励み学ぶ人の意欲を支える八臂弁財天

弁財天(通称・弁天さん)は、水の神として池や滝の側に祀られることも多く、音楽の神として琵琶を奏でる姿がよく知られています。
仏教に限らず、日本神話に登場する宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視される事も多い。また世界各地の宗派に登場する宗派を問わない存在でもあります。
私が今回切り絵で表現したのは、「八臂弁財天」という八本の腕に武器を持った像を基本にしています。

技芸に励み学ぶ人の意欲を支える八臂弁財天

目次

制作動機

私は切り絵の制作をする中で、完全にこの仕事で食べて行けているわけではないので、「このまま続ける意味があるのか?」「これまでの関係と制作を一切断ち切るという選択肢もある」「なぜもっと楽に生きようとしないのか?」とふとした機会に立ち止まって思うことがあります。
何度も何度もそんなことがあります。

でも、不思議とそんなときに見聞するのは、苦境にもめげずに楽しく技芸に励んでいる人の姿でした。私にはその姿に神仏を見たような気がしました。
まだ世には出ていないけれど、高い技芸と意欲を持ちながらも私のように立ち止まり、悩んでしまう人々がいるのではないか?
迷わず自分を信じて真っ直ぐな気持ちで、技芸向上に励んでほしい。神仏に限らず世間も待っている・・・そう思ったら私を含め迷う人々の支えになるような存在を表現したいと強く思いました。
そして「弁財天」を描くことにしました。

技芸に励み学ぶ人の意欲を支える八臂弁財天

なぜ八臂弁財天の姿を選択したのか?

琵琶を持った女性らしい柔らかさを持った弁財天も良いのですが、八臂弁財天の像を見たときに技芸を極めようとする者に必要な存在の姿はこちらの方だと直感しました。
8臂像の8本の手には、弓、矢、刀、矛(ほこ)、斧、長杵、鉄輪、羂索(けんさく・投げ縄)を持ち、その全てが武器に類するものであり、弁才・知恵の神としての性格に加えて、戦神としての姿が強調されています。
何と戦うのかといえば、自分の意欲を削ぐ煩悩、欲望、怠け心です。
そしてなにかに「挑戦する姿」そのままに表現されています。8本の手に持つ武器は、それぞれが自分が持つ個性や才能を表しているとも言えます。

なぜ髪の毛が大樹になっているのか?

この神仏は森羅万象の化身として描き、常に私達の側にいるという意味を持たせています。そのために下半身は滝となり、肌には魚のような鱗があり、頭部は大樹を描いています。
大樹の枝の一本一本は、技芸に励む人の魂そのものです。人の数だけ枝があります。
また一つの枝はさらに枝分かれして、芽をつけています。
技芸を極めるためには、様々な技を身に着けなければなりません。その技を極めるごとに芽が育ち、花を咲かせ、さらに枝を分岐させて伸びていきます。
大樹は成長の象徴なのです。

技芸に励み学ぶ人の意欲を支える八臂弁財天

周りにいる鬼たちの意味

弁財天が立つ岩場や滝には複数の鬼たちを描いています。
この鬼は、それぞれが「人間の象徴」として存在しています。
真ん中には滝に打たれながら真摯に技芸向上の修行に励む男女の鬼、左下には修行せずにただ願うだけで技をもらおうとする怠け鬼、右には岩をよじ登りながら横から技を掠め取ろうとする泥棒鬼がいます。
楽しては技は身につかない、その意味を込めて描きましたが、ご自身の姿はどちらにあるのか?どの位置に近いのかを見ていただければと思います。

滝行する鬼

八臂弁財天の強く優しく真摯な眼差し

作品制作は自分の技と心の鍛錬のためにあるものですが、完成してしまうと観賞者のためのものであると考えています。
私は観賞者のために切り絵という技で八百万の神々からの言葉を仲介しているような気がしています。
目の前に現れた「八臂弁財天」の姿が、あなたに何を語りかけるのか? またあなたが何を語りかけるのか? 心の目で対峙していただきたいと思います。

制作で苦心したところ

おおまかなラフスケッチができあがったのが2018年の夏でした。この時点では頭部は樹木のようにしようとか、周りは滝のある山中にしようというぐらいしかイメージができませんでした。なんとか下絵まで描いたものの実際に切り始める気にはならずに1年放置していました。何かが違う、何かが足りない・・・そう自問自答しながら2019年の7月ごろから下絵に手を加えていきました。

技芸に励み学ぶ人の意欲を支える八臂弁財天
やっと納得した下絵ができあがったのは2019年の11月でした。ここから切り始めたのですが本当に納得できるまで時間がかかりました。
たぶん最初の段階では、単に自分自身のためだけの神仏として描いたことで違和感が生じたのだと思います。それが自分だけでなく技芸に励む人々の応援がしたいという気持ちに至ってから、制作のイメージと流れが変わりました。

下絵では一つ一つの線は大まかでほぼアレンジも加えないざっくりとした線画なので、デザインナイフを入れるときは傾けたり、すこし揺らしながら切ったり、線に強弱をつけるなどナイフが描くエッジの雰囲気を楽しみながら切りました。
どんな絵に仕上がっていくのか、その段階では全く予想がつきません。ある程度切り終えて眺めてみたときにやっとわかります。

滝行をしている二体の鬼が立っていますが、この滝の水が鬼の身体に当たり、流れる様の表現にも悩んだところです。何本もの直線を縦に引いていますが、ペンで描くのは簡単ですが、この線を切ることができるのか? 最初は正直言って自身がありませんでした。

波打つ川の流れは、雲にはならないように水を常にイメージして切っています。雲はいろいろな方向に流れていきますが、水はできるだけ一定方向に線を向かわせ、なめらかな曲線の水滴の集合体のような形を意識しています。

岩壁をイメージした額とセットで観る

額には深い渓谷を演出するように岩壁をイメージした彫刻をしています。私は若い頃に仏像彫刻を学んでいたので、不動明王や天部の仏像の磐座を彫った経験があったので、今回は当時の技を思い出しながら彫りました。
塗装もちょっとひと工夫して、着色する前に表面が岩のようにザラザラさせる特殊な溶剤を塗っています。

額の彫刻

最後に

この作品を観た方からは「ストレートに気持ちが迫ってくる」「技がすごい」「とても面白い」など、様々な感想をいただいています。本気で何かに取り組んでいる人、またはこれから何かに取り組もうとしている人、挑戦したいことに迷いがある人にぜひ観ていただきたい作品です。
画面越しの画像では、五感に刺さるところまで伝わりません。実物を観る機会があればこの作品と対峙してほしい。
きっと八臂弁財天様が、今のあなたに必要なメッセージを送り届けてくれるはずです。

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